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ほぼ毎日一枚立ち撮りフォト by Jose (簡易版は↓)

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古代ロマン山の辺ポタ --1/2--仏教伝来から磯城瑞籬宮 20110421

2011/04/30(Sat) 08:00
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4月21日撮

朝6時前のラッシュを避けてのJRで、鶴橋乗換え近鉄桜井へ。
乗り換え回数、乗換駅の手間、で経路を決める。

山之辺の道・桜井--天理ポタリング。

まずは桜井の仏教伝来地碑と海柘榴市観音堂、金屋の石仏と磯城瑞籬宮まで。

日本最古の官道「山の辺の道」のスタート地点、初瀬川堤の仏教伝来之地碑。

日本書紀・欽明天皇13年(552年)百済の聖明王からの使いが来て、
お釈迦様の金銅製仏像、一光三尊の阿弥陀仏、百済大仏、幡蓋(はたきぬがさ)など
を献上したと記されているのを根拠に建てられたそうです。
公式の上陸地と言えそうですね。
それ以前から渡来人によって仏教はもたらされていたと思われますが。

それ以前の倭(日本)は神の国ということで

自然崇拝、神籬・磐座信仰であり、神社の「社(やしろ)」とは別に
境内にある注連縄が飾られた御神木や霊石、境内に限らずその周囲の「鎮守の森」、
海上の「夫婦岩」などの巨石などが「神」として崇拝されていたようです。

またここは欽明天皇の皇居、磯城嶋金刺宮など数々の天皇の宮跡伝承地でもあります。


最古の海外交易の市、海柘榴市(つばいち)は、大阪--大和川を結ぶ川船の終着地点で
山の辺の道など初瀬街道が交差する陸上交通の要衝・最古の交易市場だったそうです。

日本書紀には推古天皇16年(608年)小野妹子が遣隋使、裴世清(はいせいせい)を
伴って帰国し、飛鳥の京に入るとき、飾り馬75頭をつかわして海柘榴市の路上で
阿倍比羅夫に迎えさせた、と書かれているそうです

海柘榴市(つばいち)と呼ばれるのは三輪山の椿に因む、ともいわれています。

初瀬川を渡り、少し上がったところに金屋の石仏がある

この石仏、右が釈迦如来 左が弥勒菩薩と推定され、高さ2.14m、幅83.5cm、厚さ21.2cmの
2枚の泥板岩(石棺の蓋)に浮き彫りにされている。国宝。
平安後期の貞観時代~鎌倉期の作と言われている

磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)は日本書紀に記載されている崇神天皇王朝の都。
桜井市金屋にあったと推定されており、
志貴御県坐神社には、大正年間に「崇神天皇磯城瑞籬宮跡」の石碑が建てられたそうです。

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